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ご覧いただきましてありがとうございます。

このブログでは私がCIDPを発症してから寛解していくまでのいろんなことを綴っております。

基本的には当時の日記を元に書き直しているので最新の情報ではないこともあります。

そしてこれは私個人の体験談であり一般的な医療情報にとどまることをご承知おきください。

病気の性質上、症状、治療方法、経過などは一人ひとり違います。

治療や症状についての具体的なことは、必ず主治医とご相談ください。

覚悟を決めて

年が明けて2012年1月、左手の痺れは相変わらずでした。

・ボタンがかけづらい

・下着の後ろのフックがつまみにくい

など、日常生活のちょっとした動作にも支障が出始めていました。

もう、これは診てもらうしかない!

そう覚悟を決めて、以前に腰椎分離症でお世話になったSK病院整形外科を受診することにしました。

慣れた病院なら少しは安心できるかな、という気持ちもありましたね。

初診での戸惑いと診断の可能性

診察では、問診の後にいくつかの検査を受けました。

針などで皮膚を触って他の場所と感覚が違うかを確認したり、

手首を曲げると痺れが強くなるかを調べたり。

そして、肘先と首のレントゲンを撮って、その日は終了。

末梢神経の修復に良いとされるメチコバール(ビタミンB12)を処方され、2週間後に再診となりました。

1月末の再診日。

先生から告げられたのは、「おそらく手根管症候群ではないか」という可能性でした。

ただし、これをはっきりさせるには、MRIと筋電図の検査が必要とのこと。

そして残念なことに、SK病院にはその設備がない、と説明を受けました。

「筋電図を検査できるのは、近くではK大学病院になりますから、紹介状を書きましょう。手術はうち(SK病院)でもできますので、どうするかは にゃこりん さんが決めてください」という先生からの説明に、

私は「じゃあ、手術の時はお願いします」と、その場で紹介状を書いていただきました。

このときは、早く原因が分かって治るなら、手術もやむを得ない、と思っていたんです。

大学病院への複雑な気持ちと広がる不安

正直なところ、大学病院と聞くと、なんだか「ちょっと畏れ多い」というか、

「なんか大事(おおごと)になっちゃったなぁ」という複雑な気持ちになりました。

とはいえ、この2週間の間に、左手の痺れは薬指から小指にまで広がってきていて、不安はさらに募っていました。

「これで原因がはっきりすれば、手術で良くなりそうだし、きっとスッキリするはず!」

そう自分に言い聞かせて、さっそくK大学病院へ向かうことになったのでした。

Wrote this articleこの記事を書いた人

にゃこりん

にゃこりん 女性

2011年9月発症、2013年5月CIDPと診断。2021年10月Ivig終了。2022年7月寛解。2024年11月通院卒業。治療期間8年、発症から卒業までは13年。CIDPになって失ったもの、残っていたもの、新しく手に入れたもの……私の一部となったCIDPとともに、これからも私らしく生きていく。

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