ご覧いただきましてありがとうございます。
このブログでは私がCIDPを発症してから寛解していくまでのいろんなことを綴っております。
基本的には当時の日記を元に書き直しているので最新の情報ではないこともあります。
そしてこれは私個人の体験談であり一般的な医療情報にとどまることをご承知おきください。
病気の性質上、症状、治療方法、経過などは一人ひとり違います。
治療や症状についての具体的なことは、必ず主治医とご相談ください。
前回の記事で、脊髄空洞症(せきずいくうどうしょう)という可能性を告げられ、私のしびれや筋力低下などの症状が、果たしてこれが原因なのかと右往左往していた時期についてお話しました。
K大学病院では、神経内科として診る必要はないと言われてしまい、少し落ち込んでいた、その後のことです。
「脊髄空洞症友の会」との出会い、そしてJ大学病院へ
私は脊髄空洞症について調べているうちに、「脊髄空洞症友の会」というものがあることを知りました。
当時の日記などには詳しい記述がないので、どんな経緯だったか忘れてしまったのですが、勇気を出して友の会の方とコンタクトを取ることができました。
すると、例外的ではありましたが、サードオピニオンのような形で、脊髄空洞症研究の第一人者であるJ大学病院脳神経外科教授(当時)のA先生を紹介してくださったのです。
本当に、藁にもすがる思いでした。
J大学病院脳神経外科、A先生の診察
2012年9月10日、J大学病院脳神経外科を受診しました。
A先生は、2月8日にK大学病院で撮ったMRI画像をじっくりと見ながら、とても穏やかな雰囲気で私の話を聞いてくださいました。
その結果、告げられたのは次のようなことでした。
• キアリ奇形でも、外的要因によるものでも、悪性腫瘍の可能性もない。私の空洞は、生まれながらの残存だと思われる。
• この空洞が原因で、今ある手足のしびれが出ているとは考えにくい。
• 心配であれば、年に1回MRI撮影をして、空洞部分が大きくなっていないか確認するのも一つの方法。
「生まれながらの残存」というのは、「脊索遺残(せきさくいざん)」のことで、胎生期の脊索が残ったまま空洞が形成されている状態とのことでした。
分かりやすく説明すると、
脊索(せきさく)とは脊椎(せきつい:背骨)のもとになる組織で、胎児期に脊索から脊椎が形成されていくと、通常は退化するものだそうです。
それがわずかに残ってしまったもので、周りの神経を圧迫したり、腫瘍化したりしなければ、健康には何の影響もない、という説明でした。
A先生の言葉:症状の原因は空洞ではない
A先生はさらに詳しく説明してくださいました。
「空洞がある第5胸椎のあたりは、上肢(手、腕)のしびれを引き起こす神経とは関係が薄いため、今あなたを悩ませている手足のしびれなどの原因であるとは考えにくいですね。MRI画像を診る限り、脊髄の形もきれいですよ。
あなたの今の症状の原因は、この時点では私にもつかめなかったけれど、K大学病院やKO大学病院の整形外科や神経内科で、引き続き詳しく調べてもらうのがいいでしょう。J大学病院で診てもらうには、改めて紹介状が必要で、初診からになりますからね。
脊髄空洞症に関しては、私(A先生)は今年度で引退しますが、後任に引き継ぎますので、1年後に念のため予約を取っておきましょう。」
A先生に穏やかに、そして丁寧に説明していただいた内容は、箇条書きの通院メモだけではなく、私の心の中にしっかりと残っています。
この時、脊髄空洞症が直接の原因ではないと分かったことで、少し安堵したような、でも同時に「では、このしびれや筋力低下の原因は何なのだろう」という新たな不安も感じた複雑な気持ちでした。
大切なこと:もし不安を感じたら
ここでご紹介している私の体験は、脊髄空洞症の診断に至るまでの一例です。
原因不明のしびれや筋力低下、脊髄空洞症など、身体の不調に直面すると、多くの方が不安を抱え、情報収集に奔走されることと思います。私のように、セカンドオピニオンやサードオピニオンを求めることで、新たな視点や安心感を得られることもあります。
もし今、あなたも原因不明の症状で悩んでいたり、複数の病名の可能性を指摘されて混乱していたりするなら、決して一人で抱え込まないでください。
必ず専門の医師にご相談ください。 そして、信頼できる医療者と共に、あなたに合った情報や治療法を見つけることが何よりも大切です。
Wrote this articleこの記事を書いた人

にゃこりん 女性
2011年9月発症、2013年5月CIDPと診断。2021年10月Ivig終了。2022年7月寛解。2024年11月通院卒業。治療期間8年、発症から卒業までは13年。CIDPになって失ったもの、残っていたもの、新しく手に入れたもの……私の一部となったCIDPとともに、これからも私らしく生きていく。
